


飄々(ひょうひょう)としたキャラクターから正義感溢れる情熱家まで、常に強い印象を残す俳優・堺雅人。8月22日に全国公開される映画「南極料理人」では、極寒の地、南極の観測基地を舞台に、クールなのにどこか人間臭い料理人「西村」を好演。スクリーンの中から「幸せ」という料理を私たちに振る舞ってくれる。



南極ドームふじ基地。標高3810メートル、平均気温マイナス54℃、ペンギンやアザラシはおろか、ウィルスさえ生存できない極寒の地で、8人の観測隊員が1年間の共同生活を送ることになった。メンバーは学者、医者、自動車メーカーの社員、ジャーナリスト、大学院生など様々。そのうちの1人、西村(堺雅人)は、海上保安庁から派遣された調理担当だ。娯楽らしいものが何ひとつない南極で、食事は唯一無二の楽しみ。西村は、日本に残してきた妻子のことを思いつつ、隊員たちの胃袋を満足させるべく日々奮闘する。しかしそこは究極ともいえる厳しい環境の地。イライラを募らせたり、わがままになったりする隊員たちの間で、食事をめぐるトラブルが頻発し、クールにただただ食事を作り続ける西村もついに心折れてしまうほど。が、彼らの中には不思議な連帯感が芽生え始めていた。そう、家族と離れて寂しいけれど、どんなときも、おいしいものを食べると元気になれるから――。原作は実際に観測隊員として南極で料理の腕を振るった西村淳のエッセイ「面白南極料理人」。自主映画やTVドラマの演出での手腕を買われ、今作で商業映画デビューを飾る弱冠31歳の新鋭・沖田修一が監督・脚本を担当した。日常を淡々と描きながら人間のおかしさや優しさをそこはかとなく映し出す、沖田修一監督の卓越した才能にも注目!

南極料理人
2009年8月8日(土)よりテアトル新宿で先行ロードショー、同22日(土)より全国ロードショー
上映時間:125分
監督・脚本:沖田修一
原作:西村淳「面白南極料理人」(新潮文庫、春風社刊)
出演:堺雅人、生瀬勝久、きたろう、高良健吾、西田尚美、豊原功補 他
配給:東京テアトル
(C)2009『南極料理人』製作委員会



今回の撮影は北海道・網走を中心に行われた。南極ほどではないにせよ、極寒の地で沖田監督のもとに集まったスタッフたちの毎日は意外にも……。
――映画では南極の風景や自然の描写に圧倒されました。
堺雅人:もしそうなら網走まで行った甲斐がありましたね(笑)。さすがに南極までは行けないので。また、CGを担当したスタッフのご尽力も大きいですね。沖田修一監督や彼らを含め、スタッフのみんなが喜ぶと思います。
――網走ロケのエピソードをうかがえますか?
堺雅人:みんなでよく飲みましたね~。また、網走刑務所にも行ったし、ワカサギ釣りもした。映画で身に着けている防寒服は実際に南極での生活に耐えられるもので、本当に暖かいんです。ディー靴もそう。ただ、すごく歩きにくく、登場人物がよく転んでいたのは別にウケを狙っているわけではなくて、本当に転んでた。
――映画の中で特に印象に残っている料理は?
堺雅人:手打ちラーメンかな。工程が一番多く、食べるシーンを何度も撮って、ものすごい量の麺が現場に並んでいましたからね。フード・スタイリストの飯島(奈美)さん、榑谷(孝子)さんの苦労も並大抵ではなかったはず。しかも、これがまた美味しかった♪ 映画の試写を観て、まずラーメンを食べたくなりました。


――映画「南極料理人」をひと言で表現すると?
堺雅人:「みんなでごはんを食べるとおいしいね」というシンプルなテーマを、もの凄~く丁寧に描いた作品です。ただそれだけ(笑)。なのに引き込まれるし、1人ひとりがだんだん愛おしく、目が離せなくなってしまう。おいしいものを作ってもらって、心がほっこりする。これを延々2時間やり続けたのが凄いなと改めて思います。
――「西村」という料理人をどう演じようと考えましたか?
堺雅人:原作では人懐っこくて、押しも強かったりする西村さんですが、映画ではそれはなくていいのかなと沖田修一監督と話しました。むしろ「やれ」と言われたことを淡々とこなすだけだったのが、それに付随する“何か”に次第に気づいていく、料理人の成長譚のような側面が映画で出せればと。
――成長するための“何か”とは?
堺雅人:映画で西村が最初に作るのが手の込んだ日本料理だけど、その後いったん手抜きするようになるんですよね。そして次第に食べる人の顔を浮かべながら料理するようになってゆく。独り言だった料理が、対話になり、会話になり、全員との語らいになって、料理を通じて輪が広がっていく、みたいな世界ですね。
――実際に演じてみていかがでしたか?
堺雅人:映画の西村は原作とは違うから、なるべく後ろにいて、あまりしゃしゃり出ないように、みんなと張り合わないようにしていました(笑)。それぞれの好みや、食べる順番を静かに観察していると、徐々に全員の言葉がなくなっていっていく。「食べる」ことについて考えれば考えるほど、形容詞がなくなっていくわけです。「うまい」とか「ありがとう」という言葉を言わない贅沢というのもあるんだと思いましたね。


――31歳と若い沖田修一監督らしさはどんなところに感じましたか?
堺雅人:すごく細かい演出もあったし、理由はわからないけど、とにかくもう1度撮りたい、ということが現場で通用する監督でした。性格から来るものだと思うけど、沖田修一監督は初めての相手でもそれを納得させてしまうようなところがありましたね。年下であることは特に関係ありませんでした。
――沖田修一監督が細かくこだわっていたポイントは?
堺雅人:沖田修一監督自身が笑えるかどうかということだと思いますよ。ただ、監督は分かりやすい笑いより微妙な笑いが好きみたい。不確定要素を加えて、もう1テイク撮ろうみたいな。面白くするためにどうするかをずっと考えていて、まさに飽くなき探求者でした。撮影中にモニターを観ながらよくクスクス笑っていたのが印象に残っています。
――試写でも笑いが起きていましたね。
堺雅人:僕自身は他人を笑わせるテクニックがあまりないけど、生瀬勝久さんときたろうさんが全体をとてもよく見てくれていて、非常にありがたかったですね。ご自身の演技もさることながら、お二人の掌でコロコロ転がされていたというか、先輩の役者さんたちが映画全体のテイストに深いところで関わってくださっていたんだなと、試写を観て改めて気づきました。
――この映画出演を通して感じた理想の家族像は?
堺雅人:何か問題があったとしても「ごはんを食べようよ」という空気があるかではないでしょうか。もちろん解決しない問題もいっぱいあるし、軋轢も生じるだろうけど、それはそれとしてごはんを食べようよ、って言える家族だったら、時間はかかるにせよ、みんなで力を合わせて、正しい方向に行けるんじゃないかな。

――家族を日本に残して働く南極観測隊の仕事には共感できますか?
堺雅人:実は最近、何かを犠牲にしてまで仕事をすることに疑問を感じるようになってきたんです。やれと言われたことをして、その対価をいただく――。基本はそういうシンプルなことなんじゃないかと。もちろん、やるからにはたくさん時間を費やしたいし、最大限の労力もつぎ込みたいけど、誠実さという意味ではどんな仕事でも同じだから。
――仕事への価値観が変わった?
堺雅人:仕事がないのに自分は俳優だと肩肘張っていた時期はむしろ「こうしなくてはいけない」と思っていました。仕事がない分、勝手に俳優像を作っていたんでしょうね。仕事をやっていくうちに例外をたくさん見て、むしろ「こうしなくてはいけない」と思うべきではなく、上手くやれれば、結果的に役者としての志を感じてもらえるのではないかと。
――今後はどんなスタンスでお仕事に取り組みますか?
堺雅人:「この仕事はこれだけ努力しなくちゃいけない」と勝手に決め付けるのは逆におこがましいし、それは僕が決めることじゃないんだろうなと。いいと言ってくれる監督がいたら、仮に片手間でやっていようがそれでOKだし、ダメと言われたら何をやってもダメ。そういう世界なんだなと思う。
――ありがとうございました。


1973年宮崎県生まれ。劇団「東京オレンジ」で舞台俳優として活動を開始。その後、テレビに進出し、NHK連続テレビ小説「オードリー」(2000年)、NHK大河ドラマ「新選組!」(04年)で高い評価を受ける。08年にはNHK大河ドラマ「篤姫」でさらに幅広い層から支持を集め、並行して出演した映画「アフタースクール」「クライマーズ・ハイ」などで、第51回ブルーリボン賞をはじめとする数々の映画賞の助演男優賞に輝いた。